独学で袋小路のドツボに嵌って悩む人への福音?
独学って字の如く孤独ですよね。それでも色々工夫して楽をしたい出来れば、手抜きしたい、サラリとやって、でも結果だけはサクッとゲットしたいなんて思います。少なくとも私はそう思っていますが、現実は甘くないのですよね。先ず、時間が無い、金が無い、知識や才能が無い等など無い無い尽くしのオンパレードだと思います。
先ず時間が無い「暇が無い」これはもう作るしか、有りませんね。それも強制的にというか、習慣にする、それもなるべく楽な習慣に。5分でも10分でも、兎も角、自分の行動を1日~1週間の中で、汚くてもいいから、漏らさずデカイ紙に書いてみる、そうこの書いてみる「見る?」が大事なのです。特に喋りながら書いてみるが大事です。何故、大事かって?書くことで嫌でも意識するからです「経験済み」。
そしたら、空いてる時間「所謂、隙間の時間」が見えてくる筈です。例えば汚い話で恐縮ですが、便所でアレが出るまで気張っている時間は結構、貴重です。何故、貴重かってその間アレが出る瞬間までアレを出すことに意識を集中せざる得ないからです。それを例えば今、自分が取り組んでいる資格試験のもう一寸で解けそうな問題を考える時間に充てるワケです。これは効果絶大ですよ。オマケに集中している時間が短くて済む「便秘でなければ」、習慣性「特に朝が効果的」。そんな感じで、隙間時間を何かに振り替えて、覚える時間や考える時間として独学の時間に変えてみて下さい。出来るだけ楽しく、カラダの単純作業にナガラで試験問題を考えるって感じが効果的です「お寺の修行と同じ理屈」
金が無い、これは、工夫次第だと思いますが、例えば試験問題集を買う金が無いなら、ネットで目的の試験問題を扱っているサイトをチェックして問題をダウンロードコピーするとか、図書館で過去問題集を借りるとか、ヤフオクやアマゾンで安く過去問題を入手する「古い本は大抵格安です」等です。
知識や経験が無い、これは本質的な問題ですが、そもそも何で資格試験とか受験が有るのかと言ったら、その資格を与える為に必要な知識や技能が有るか確かめる為なのだから、最初から無いのが当然というか普通の状態です。その知識、経験が有る人にやっても無意味、形式的なものだからです。その知識や経験「一寸ニュアンスが違いますが」を得る為に独学をするワケなので、問題では有りません。
これは私の年代に有りがちな忘れ易いというかスッキリ完璧に忘れる、忘却の彼方へワープする、これは復習の回数×集中度合いでやる対処療法でやるしか有りません。何故か?やってみなければ何処がどれほど忘れやすいか判らないからと、判らないところが判らないという変なパラドックスになってしまうからです。だから最初は試行誤差の連続ですね。例えば上記の資格試験問題はナガラで覚えるなんてのは有効です。他に雑学「クダラナイものでも」に絡めてというか関連で覚えるっていうのもアリです。
独学が向く人と不向きの人の違いって?例えば資格試験を、独学で勉強していく場合、何が必要かを考えると、先ず第一に性格とか素質で独学向きか否かが決まるのか?
独学で〇〇の資格をゲットしたって言うと、皆さんが始めに思うのは、スゴイですね、との感じ「程度にも因りますが」を持ったりしますね。でも、独学なんて、皆さんが思うほどには難しく有りません。独学には、生まれつきの天賦の才能が必要は有りません「殆どの場合は」。
極端にいえば、知識を上手にアタマに入れて、吐き出す只それだけ、「独学の技術」が天賦の才能なら有る意味損な部類になるかも知れないということで安心して下さい。貧乏クジみたいなものです、独学の技術が天賦の才能だと^^;
料理とか、書や、絵画、彫刻といった芸術の才能から、人の心を掴む技術、説得力、雄弁な演説のチカラのほうが、人生に資するとと思いますがその辺はこのサイトの趣旨から外れるのでカットします。なので、「私って独学には不向きかな?」と感じたら、天に「独学の技術」の才能が無くて助かった、と思うが吉ですね。
独学の技術って?独学は技術というか技能なので練習次第で上達させることが出来るので才能が要らない理由です。運良く?、独学の天賦の才能が無ければ、コツコツというかシコシコと只管磨き上げればいいだけなのです。
独学の技術は、単純に3つの要件を満たせれば、誰でも習得出来る技術と考えられます。さて、3つの条件を説明する前に、まず、独学の前提を確認すると独学とは、生まれつきの才能は不要。誰でも出来るもの、それが独学。性格も、それほど問題ではなく習慣の問題なのです。例えば根が明るいとか暗いとかといった性格如何により左右されるものでは有りません。
マメであるか否かは、有る程度重要ですが、無くても大丈夫。有ればそれは一寸ラッキー!程度なのであれば、まぁいいや~くらいなので、絶対条件では無いです。むしろ上記の習慣が効いてきます。
私は、ズボラを絵に描いた様な人生を歩いてますが、資格試験勉強が楽になる復習は、大抵欠かしません「まぁ偶にはスランプと称してズルけても問題無しと構える位が丁度いいですね。但し全く諦めるのとは違います」。マメだから復習するとか、ズボラだから復習しない、というワケではないのです。クドイようですが習慣ですね。
経験も、それほど重要では有りませんね。経験とか体験も有ればラッキー程度の必要条件なので、無ければ後で身に付ける体験すればいいーかな程度ですね。実際の試験は大抵の場合ペーパーテスト「クルマの免許と同じ」と考えてオッケーです。
独学に必要な3つの条件とは、簡単に言えば、
日本語の読み書きが出来て、多少のお金が有って、時間が有ることって、何だ当り前じゃないかと思えればオッケーです。
日本語の読み書きが出来る、実はとても重要な条件ですね。まぁ義務教育で当然やってきたハズなので、問題無いとは思いますが、読み書きの技術とは、読んで書くという技術に加え、どんな日本語なのかというのを、読み解けるかどうか要するに日本語で書かれた試験問題をチャンと解釈出来るかということです。皆さんが、資格試験に使うテキストや問題集というのは、実のところ、読み手を想定して書かれたものでは有りません。
新聞みたい「事実?」を表す文章でもなく、雑誌みたいに「雰囲気とか写真」を伝える文章でもなく、小説とかエッセイ、詩のようにココロの糧や面白いものでもないですよね。只管というか徹頭徹尾、ツマラナイものなのです。テキスト「試験問題」とは、読み物で有りません。資格試験に必要な日本語の読み書きとは、日常生活に殆ど関係とか存在しない、読者を全く無視の、読み物じゃない文章を読み書きすることです。なので、一読しても判らない、否一生判らなくても当然なのです。
ここに名言が有ります1読、難解。2読、誤解。3読、不可解。忘評論家氏の言葉だったと思います。世の中には、アタマの切れる方でも、ワカラナイ文章があるのだと、言葉に妙に納得、溜飲したものです。なので、テキストの文章は1読して判る性質のものでは無いというかそれが当然、この前提を理解して下さい。
さて独学は、通信教育や通学に較べて、はるかに安いコストで済みます。でも、安ければいいじゃん、というもので無いのです。独学に必要なのは、問題演習の良し悪し「質」とその量です。
いい問題に出会うには、良き問題集、必要な問題集に当たっていく必要があります。「この問題集をやれば、こうなるだろうなぁ」なんて思ったら、買えば良いのですがそれさえ判らない、特に初めての場合には「判らないところが判らない」って云うのが現状ですね。只、ケチると、いい問題に当たるチャンスを狭めるので、ケチってもいいのですが個人的には、万が一、不合格になって同じことを何年もやりたくないと普通はそう考えますよね。なので勿体無いと思っても、いいと思った資格試験問題集や参考書籍は買うことにしております。なので買う時はジックリ考え比較して、そしてトドメは勢いで買うと言うことでしょうか。
上記のことは、試験に掛ける日数時間を金で買う「無駄に使った時間は金で買えません」というのと自分への投資「生きている間は有効です」と動機づけ「買ったからには絶対に資格試験に受かってモトを取る」と言う意味からです。